群馬県渋川市で交通取り締まり中の警察官が、停止しなかった車に引きずられて重傷を負い、車は逃走。警察は運転手を殺人未遂容疑などで追っている。
交通違反取締中の男性警察官が停止に応じなかった車に引きずられ重傷 殺人未遂などの容疑で運転手の行方追う 群馬・渋川市 | TBS NEWS DIG
■「性善説で運用される権力」という危うさ
日本の警察制度は、長らく“警察官は正しい”という前提で運用されてきた。交通取り締まりは警察官の「現認」で成立する。
これはすべて「警察官は嘘をつかない」という性善説の上に成り立っている。だが現実には、冤罪事件は繰り返され、違法捜査や証拠ねつ造が裁判で暴かれた例も少なくない。それでもなお「警察を信じるべき」という空気が根強いのは、国民が“見えていない”からだ。
■街中はカメラだらけなのに、なぜ警察だけは例外なのか
一般市民は、コンビニでも駅でも商店街でも、四六時中カメラに撮られている。車にはドラレコ、街には防犯カメラ。「透明性」は市民側にだけ強制されている。
なのに、権力を持つ側——警察官はどうか。警察官のボディカメラ装着は一向に進まない。取り調べの可視化は部分的。交通取り締まりは目視でOK。警察官の暴言や恣意的な取り締まりは、証拠がなければ泣き寝入り。この非対称性は、もはや時代遅れというより“危険”だ。
警察官は口を揃えて「交通違反取り締まりのノルマなどない」と言う。その言葉に疑問を抱かせるのは、警察官のあやふやで曖昧な交通取り締まりの結果だ。
■ボディカメラが普及しない理由は単純だ
ボディカメラは、警察官にとってメリットよりデメリットが大きい。
- 暴言が記録される
- 不当な取り締まりが可視化される
- 違法捜査が証拠として残る
- 「現認」の曖昧さが通用しなくなる
- ノルマ的取り締まりの実態が露呈する
つまり、“見られて困る側”が抵抗しているだけだ。市民の安全のためではなく、自分たちの都合のために透明性を拒んでいる。それが透けて見えるからこそ、国民の不信は深まる。
本来交通取り締まりも警察官が証拠を出せないのなら違反切符を切られる必要も罰金を支払う必要もない。だが現実は駄々をこねるとお仲間の警察官が集まってきてサインを強要する。捕まった一般市民が「証拠を出せ」と言えば、「私が見た」。その一点張り。警察官の現認以外の客観的映像証拠は皆無。それでも一般市民は泣き寝入りするしかないことが現実。
■「警察は市民の敵」ではなく、「透明性の欠如が敵」なのだ
警察官も人間だ。完璧でも清廉潔白でもない。だからこそ、制度として透明性を担保する必要がある。
ボディカメラは、警察官を縛るためではなく、市民と警察官の双方を守るための装置だ。
- 市民は不当な扱いから守られる
- 警察官は取調べや取り締りの正当性を客観的に証明できる
- 冤罪が減る
- 警察組織の信頼が回復する
透明性は敵ではない。むしろ、信頼を取り戻す唯一の道だ。
■「見ようとしない」社会から、「見える」社会へ
ボディカメラも、取り調べの全面可視化も、本来は議論の余地すらない。一般市民も警察官個人も守るためには必要最低限の仕組みだ。「見られて困る側」が抵抗している姿こそ警察不信の元凶だ。



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