災害とプロモーションの境界線──高市政権が越えてしまった一線



高市首相の被災地訪問にBGMを入れた、まんまPR動画・プロモーション動画や、ヘリで熊本上空からの合掌が炎上している。
高市首相の行動は被災者に中指を立てて煽っているようにさえ見える。
BGMの入った被災地訪問動画は高市首相のPR動画・プロモーション動画にしか見えない。
熊本地震を利用して、高市首相が主役のドキュメンタリーを撮っているかのような強烈な違和感。

被災地の空にヘリが浮かび、総理が静かに手を合わせる。その一瞬を、まるで予告編のように切り取るカメラ。そして流れ始めるBGM。
本来なら、災害の現場に必要なのは沈黙と事実だけだ。ところが今回の映像は、沈黙の代わりに音楽を、事実の代わりに演出を置いてしまった。被災者の生活がまだ瓦礫の中で続いている最中に、視察動画が“PR作品”のように仕上げられていることに、多くの人が違和感を覚えたのは当然だろう。

「わかりやすく伝えるため」という官房長官の説明は、むしろその違和感を強めた。
わかりやすさとは、音楽で盛り上げることではなく、淡々と事実を示すことだ。もし本当にBGMが必要なら、官房長官会見にも音楽をつければいい。今回の編集は“かっこよく見せる”ことに重心が置かれていたように見える。
しかも、合掌の瞬間をカメラマンが完璧に捉えている。偶然ではなく、撮られることを前提とした動きに見えてしまう。演出と受け取られるのは当然だ。

高市政権は選挙で民意を味方につけた。しかし政治の支持は移ろいやすい。選挙後の言動が期待とズレれば、民意は一瞬で逆風に変わる。最近の支持率低下は、その兆候だろう。
政権が国民に求められているのは、派手な演出ではなく、地味で泥臭い「結果」だ。被災地の声を聞き、予算を動かし、支援を届ける──そのプロセスこそが政治の本質である。ところが、動画や写真に映る総理の姿からは「やってますアピール」の濃度ばかりが目立ち、国民の感覚とのズレが広がっている。

今回の騒動は、政権が“見せ方の政治”に傾きすぎた結果、国民の生活感覚と乖離し始めた象徴的な出来事だ。災害対応という極めてセンシティブな場面で、演出過多の動画を流すという判断は、政権の空気の読み違いを示している。
政治は本来、静かな誠実さを必要とする。今回の映像は、その誠実さがどこか遠のいてしまったことを示しているのかもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました