「大国は自国のことしか考えない」
これは国際社会の前提だ。
米国が“世界の警察”を名乗った時代があったとしても、それは米国の国益と一致する範囲での話であって、利他主義ではない。日本がその余波で苦しむこともある。むしろ当然だ。国家は慈善団体ではない。
ところが世界には、自国の安全保障を他国に委ね、自国の防衛力強化を批判し、外国が軍事的圧力をかけてくるとお決まりの遺憾砲発射で見て見ぬふりをし、なぜか自国民より外国人の権利保護に熱心な国があるという。
……と、皮肉を込めて語られることがある。
しかし、これを「信じ難い」と切り捨てるのは、少し視野が狭い。
■日本の自国ファースト=他国に尽くす
日本の自国ファーストは単純に自国だけ良ければいいという訳にはいかない。
資源が乏しく、エネルギーも食料も安全保障も、国際秩序の安定に依存している。
日本が自国ファーストを貫こうとすると、結果的に「国際秩序の安定」に尽くさざるを得ない。
自国を守るために、他国との協調が不可欠。
この構造を理解せずに「外国にばかり援助して日本国民を見ていない」「移民を受け入れ日本を壊している」と叫んでも、現実には噛み合わない。
日本の国益は単純なナショナリズムでは守れない。
■敗戦国という呪文は、いつまで唱えられるのか
「敗戦国だから仕方ない」
この言葉は、戦後日本の政治文化に深く染みついた呪文だ。
確かに、敗戦国としての制約は長く続いた。
だが、経済力も軍事バランスも国際環境も、戦後直後とはまるで違う。
それでもなお“敗戦国の義務”を自ら背負い続けるのは、もはや歴史ではなく習慣だ。
習慣は、考えることを放棄し、せっせと今も染み付いた習慣を繰り返すのみ。
■結論:日本は「自国ファーストの形」が違うだけ
日本は他国に尽くしているのではない。
“自国を守るために、他国との協調を選ばざるを得ない”という地政学的な宿命を背負っているだけだ。
それを国民を蔑ろにして外国にばかり援助していると批判するのも、敗戦国だからしょうがないと諦めるのも、どちらも現実を単純化しすぎている。
日本の“自国ファースト”は、他国と手を組みながら、自国の生存を確保するという、
極めて現実的で、そして複雑な戦略なのだ。
日本は日清、日露、第一次大戦と連勝し、戦勝国として振舞ってきた。敗戦国として扱われるのは、直近で戦った第二次大戦に敗れたから。日本が真に敗戦国から脱するためにはもう一度、戦争を戦って勝つしかないのかな。



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