ピー音という“内輪の快楽”



テレビのバラエティで乱用されるピー音。あれが盛り上がるたび、私はいつも同じ既視感を覚える。
——これは、クラスで“わざと仲間外れを作って”盛り上がる構図と本質的に変わらない。ピー音の向こう側で出演者だけがニヤニヤし、視聴者には分からない情報で勝手に盛り上がる。
その構造は、教室の隅で「ねえねえ、あの話さ…(ヒソヒソ)」とやっている子どもたちと同じだ。
違うのは、それを全国放送で堂々とやっているという点だけだ。

🌀 “分からない人”を意図的に作る快楽

人間は、自分より下の立場を作ると安心する。「知らない側」と「知っている側」を分けることで、「知っている側」は一瞬だけ優越感を得られる。ピー音は、その優越感を人工的に作り出す装置だ。

  • 視聴者には分からない
  • スタジオだけが分かっている
  • その“差”を笑いに変える

これはまさに 内輪ノリ の典型であり、“笑い”というより“排除の儀式”に近い。

🧊 まともな視聴者は白けている

だが、当の出演者たちは気づかない。自分たちが“痛い自己紹介”をしていることに。
「俺たちだけ分かってれば楽しいよね」
「視聴者は置いてけぼりでいいよね」
そんな態度を、まともな視聴者は冷めた目で見ている。しかし彼らはその視線に気づかない。むしろ「ウケてる」と勘違いして笑い続ける。
ピー音の乱用は、“笑いの技術”ではなく“共感の放棄” だ。

🔍 ピー音が象徴するテレビの老化

ピー音は、テレビが抱える構造的な問題の縮図でもある。

  • 視聴者との距離感が分からない
  • 内輪の盛り上がりを“番組の勢い”と誤認する
  • 情報を隠すことで笑いを作るという安易さ

これは、テレビがかつて持っていた“開かれた娯楽”から遠ざかっている証拠だ。



🎯 結論:ピー音は笑いではなく“排除の音”

ピー音が鳴るたび、視聴者はこう思う。
「はいはい、また内輪だけで盛り上がってるのね」
ピー音は笑いを生む音ではなく、視聴者を遠ざける音になってしまった。
そしてその事実に気づかないまま笑っている出演者たちは、自らの“痛さ”を全国に向けて発信し続けている。
視聴者を下に見てピー音で盛り上がっている出演者は、とっくに視聴者に「今の時代にまだこんなことやっているのか、痛い人たち」と、ため息交じりに下に見られていることをいつまでも気が付かずに、また次もピー音で盛り上がり、そのまた次もピー音で盛り上がり続ける。

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